廣貫堂

株式会社廣貫堂
『富山の売薬さん』の伝統と革新

 2013年(平成25年)9月、株式会社廣貫堂(以下、廣貫堂)取締役会長の塩井保彦氏は、出張からの帰路の機内で、束の間の休息を取っていた。そして、休息を取りつつも、江戸時代から脈々と続く歴史を持つ富山の製薬・売薬産業はどうあるべきだろうか、廣貫堂はこれからどのようにすすむべきなのかを思案していた。

廣貫堂の歴代の配置家庭薬箱
廣貫堂の歴代の配置家庭薬箱

 廣貫堂は、1876年(明治9年)、前身の富山藩反魂丹役所が廃藩置県によって廃止され、当時の配置家庭薬業者の共同出資で創設された製薬会社であった。以降、130年以上にわたり、配置家庭薬業者向けの製薬を担い、日本全国、時には海外に至るまで、富山の薬を届けてきた。前身となった反魂丹役所とは、藩策として製薬、売薬業を振興した富山藩が藩独自に設置していた役所であり、現在でいう厚生労働省のような業務を担当していた。薬の品質や、配置家庭薬業者への規制と監視を厳しく行い、ゆえに富山の薬は全国的な信頼を得ることができたといわれている。廣貫堂はこの反魂丹役所の業務を引き継ぎ、自社の薬の品質向上や、配置家庭薬業者の組合を維持し、配置家庭薬の信頼醸成と、普及、発展に貢献してきた。

歴代のパッケージや印刷版
歴代のパッケージや印刷版

 廣貫堂は、これまで数々の苦難に直面してきた。しかし、その度に、長年培ってきた経営基盤と柔軟な対応でそれを乗り越えてきた。例えば、過去、政府による売薬業界への新しい課税や、医療保険制度施行による需要の大きな変化があった。また、戦災で工場が全滅したこともあった。廣貫堂の歴史は、伝統を守ってきただけの歴史ではなく、危機対応と革新の歴史でもある。

塩井保彦氏
塩井保彦氏

 2013年現在、塩井氏は、海外とのビジネスマッチングや、諸外国の薬事法の研究にも精を出していた。成長している世界市場の中で伸び悩んでいる日米欧の市場シェアや、日本において上昇する輸入製剤比率など、日本の製薬、売薬産業を取り巻く環境は大きく変容していた。廣貫堂は、これらの激変する社会的環境に対応し、伝統と革新の両立を果たさなければならず、塩井氏は今後の経営政策を検討しなければならなかった。

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本ケース教材は、NPO法人ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン、慶應義塾大学飯盛義徳研究室の共同研究「長寿企業の経営革新」の一環として、慶應義塾大学総合政策学部准教授の飯盛義徳の監修のもと、慶應義塾大学SFC研究所上席所員の伊藤妃実子、同所員の木口恒、総合政策学部3年の柳生健二郎、環境情報学部3年の江本卓史が作成した。このケースは、経営管理などに関する適切あるいは不適切な処理を例示することを意図したものではない。なお、作成にあたり、株式会社廣貫堂取締役会長である塩井保彦氏、同社執行役員である岩城裕一氏から資料提供、取材に多大なるご協力をいただいた。ここに感謝したい。(2014年1月)