飯沼本家

株式会社飯沼本家
絶えず挑戦し、たすきを次の世代へ

 2013年(平成25年)12月、株式会社飯沼本家(以下、飯沼本家)代表の飯沼喜市郎氏は、酒蔵のある千葉県酒々井町の田園風景を眺めながら、日本酒の蔵元として生き残るために、どのような次の一手を打つべきか考えていた。

酒々井まがり家
酒蔵に併設されたゲストハウス兼販売所の「酒々井まがり家」

 飯沼本家は、米農家であった飯沼家が米を加工して販売する酒造へと転身、元禄年間に創業して以来300年を超えてこれまで受け継がれてきた。千葉県印旛郡酒々井町に位置し、代表的な銘柄として、「甲子(きのえね)正宗(まさむね)」がある。首都圏に近く、地下水が豊富な酒々井の土地で「地の利、水の利、人の技」という特色を活かした酒づくりを行ってきた。また関連事業として、飲食店事業、不動産事業、農業などを幅広く手掛けてきた。

甲子(きのえね)正宗(まさむね)
代表的な銘柄、「甲子(きのえね)正宗(まさむね)」

 約300年の歴史のなかで飯沼本家は数々の苦難に直面してきた。その度に新しいことに挑戦することで苦難を乗り越え、たすきを次の世代へとつないできた。例えば、1923年(大正12年)9月の関東大震災後には、主な市場であった東京が被災し、嗜好品である酒の需要は著しく低下した。当時社長であった喜市郎氏の父にあたる先代は、東京で売れないのであれば他の地域で売ろうと、千葉県の漁港を巡って売り歩くなど、販路開拓に努めた。震災や時代背景による危機を乗り越え、飯沼本家では、時代の変化に合わせて挑戦するという姿勢を大切にしていた。近年では日本酒消費量の減少に苦しめられながらも、その日にしぼった日本酒を消費者へ届ける「今朝しぼり」で新たな需要を喚起し、自社で栽培した柚子や、ブルーベリーを使用したリキュールの開発では、自社商品の多様化を目指していた。

飯沼喜市郎氏
飯沼本家代表の飯沼喜市郎氏

 日本国内の日本酒消費量は、2011年(平成23年)時点において、喜市郎氏が事業を承継した1991年(平成3年)と比較して、20年前の半分以下にまで落ち込んでいた。日本酒のつくり手として生き抜いてきた飯沼本家にも向かい風が吹いていた。喜市郎氏は、飯沼本家のたすきを次の世代へとつなぐために、300年以上もの間受け継いできた伝統の日本酒づくりを守りつつ、事業を継続し、成長を続ける方法を検討しなければならなかった。

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本ケース教材は、NPO法人ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン、慶應義塾大学飯盛義徳研究室の共同研究「長寿企業の経営革新」の一環として、慶應義塾大学総合政策学部准教授の飯盛義徳の監修のもと、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)伊藤妃実子、同訪問研究員の木口恒、飯盛義徳研究室研究員の蒲地亜紗、環境情報学部3年の江本卓史が作成した。本ケース教材は、経営管理などに関する適切あるいは不適切な処理を例示することを意図したものではない。なお、作成にあたり、株式会社飯沼本家代表取締役社長である飯沼喜市郎氏から資料提供、取材に多大なるご協力をいただいた。ここに感謝したい。(2013年12月)