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ファミリービジネスプロジェクト出張報告 2019.09.27-28

今回はファミリービジネスの観点から福島県の伝統工芸品の大堀相馬焼の歴史や現状について学びに出張に行ってきました。

福島県双葉郡浪江町で300年以上続いてきた伝統工芸品の「大堀相馬焼」は青ヒビと馬の絵が特徴的です。地元の人をはじめ多くの人に深く愛されてきましたが、2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の影響で、これまで根ざしてきた土地を離れざるを得なくなりました。今でも、浪江町の大堀地区は帰還困難区域に指定されています。

今回の出張では震災の影響でバラバラになったものの、新しい地域で大堀相馬焼の伝統を守り続ける窯主の松永さんと小野田さんに話を伺いました。


2019.09.27 大堀相馬焼 松永窯

1910年、松永陶器店は福島県浪江町井出地区にて卸売問屋として創業。戦後より、製造小売も始め1世紀以上にも渡り県内外や海外の方々に愛されてきました。
震災後は、西白河郡西郷村にて窯を移し、松永和夫さんが3代目として家業を営んでいます。

◯卸売問屋→製造小売
◯「作る」だけでなく「売る」にも強み
◯武士さんという「作らない4代目」が仕掛ける「IKKON」

1日目、私たちは、松永窯4代目で株式会社ガッチ代表取締役の松永武士さん、お父様の3代目和夫さんとお母様からお話を伺いました。

松永武士さんは、福島県浪江町出身で高校時代まで県内で過ごしたのち、SFCに進学します。
「親は『継がなくてもいいよ』と言ってくれていたが、親戚や周囲からの『継がないの?』というプレッシャーはありました。進学校ですら大学に行くのは半数。それがすごく窮屈でした。」
在学中は、学生起業としてアジアで内科医斡旋を行う仕事をしており、相変わらず家業を継ぐ気は無かったと語る松永さん。相馬焼に目を向けるようになったきっかけは、東日本大震災でした。

震災が起こり、避難所を訪れたとき、わざわざ相馬焼を持って避難したおばあちゃんに出会います。
「『どうして焼き物を?』と聞くと、『故郷、浪江を思い出すから』と。そこで相馬焼に『町のアイデンティティ』を強く感じました。」

伝統工芸のリブランディングをして、海外に販路をつくるような仕事なら自分にもできるな、と感じ、2013年に株式会社ガッチを起業します。

現在は、お父様の和夫さんが窯主として福島で製造を、武士さんが東京と福島を行き来し、販売や国内外に向けたPRを行なっています。また、今残っている窯元でも後継者がいない場合が多いことから、京都などの職業訓練校などでインターンシップ生を募集するなど、次の担い手を探す後継者育成にも取り組んでいます。

↑相馬焼の特徴の一つである二重構造

最近では、相馬焼の二重構造を生かして、内側のカーブの形で味わいが変わるぐいのみ「IKKON」といったオリジナルブランドを展開しているそうです。



2019.09.28 大堀相馬焼 春山窯

大堀相馬焼春山窯13代目で現在大堀相馬焼協同組合理事長の小野田利治さんに話を伺いました。震災の影響で今年8月に本宮市に移転し、新たなスタートを切った小野田さん。製造、展示、販売だけではなく、大堀相馬焼の魅力をより多くの人に知ってもらうために月に数回陶芸の体験教室も行っています。

大堀相馬焼協同組合の事業を再開している組合員は震災後10軒にまで減り、窯元も物理的に離れてしまったこともあり、以前のようなコミュニティの団結感はなくなったと話していました。理事長として、他の窯元と協同して大堀相馬焼の活気を取り戻し、震災後も頑張っている窯元がたくさんあることを多くの人に知ってもらうために活動をしています。

菅原陶器店では百種類以上の作品が展示されています。大堀相馬焼でも多種多様なデザインや形があることがわかりました。

春山窯では窯が3種類あり、作りたい作品、出したい色合いによって焼く窯を変えているそうです。

この度は、松永さん、小野田さん、貴重なお時間をありがとうございました。
大堀相馬焼に興味を持った方、是非福島に行く際は立ち寄ってみてください!

written by 窪田百萌 & 大岡彩也花