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鷹栖町元気プロジェクトの2024年2月フィールドワークの様子

鷹栖町元気プロジェクト 2024年2月フィールドワーク(その2)

こんにちは!飯盛義徳研究室 鷹栖町元気プロジェクトです。
今回は、2024年2月2日から2月8日にかけて行われたフィールドワークについてのご報告です。
「その2」では、2月5日(月)と6日(火)に開催された『オサラッペモニターツアー』に参加した際の活動について書いていきたいと思います。

その1の記事はこちら、その3の記事はこちらからご覧いただけます。

オサラッペモニターツアーとは、鷹栖町の魅力や歴史を観光に来てくださった方々に最大限体験してもらえるように企画されたツアーのことです。まだ試作途中ではあるそうですが、モニターの一員として参加させていただき、一足早く体験することができました。

2月5日(4日目)

オサラッペモニターツアー1日目。
鷹栖町に住む方に「鷹栖町は本当に素敵な街ですね」というと多くの人が「いやぁー何もないけどね」とお答えになります。ただ、今回参加したオサラッペモニターツアーでは、「鷹栖の人々も知らない、まだ発見していない鷹栖の魅力」の数々に気づかせてくれたように感じました。潜在的に存在するが言語化できていない鷹栖町の魅力溢れる地域資源を、今回参加したオサラッペモニターツアーを通して学ぶことができたのです。そして、この資源を活かして観光振興に繋げ、より多くの方に鷹栖町の魅力をお伝えできるのではないかとツアーを体験した際に感じました。
ツアーの初日は馬ソリ体験をし、鷹栖を語るには欠かせない大切な存在である「馬」との歴史について地域の方々のお話を伺いました。馬は普段から人間が運べないような重たい荷物を雪道の中運んでくれるため非常に力強く、人間にとって生きていく上で欠かせない存在であったことが分かります。そして、子どもの頃馬が交通手段だったという地域住民の方のお話によると、自分の馬に名前を付けるなどして大切にされてきたことから、人との距離が近く、共に支えあって生きてきたことも強く感じさせられました。
実際に鷹栖で馬が担った役割は、主に移動手段でした。米を運ぶのも、雪の日に足元が悪い中で登校する時も、結婚の際に花嫁姿の女性と嫁入り道具を嫁ぎ先まで乗せるのも馬だったといいます。そして、最近の重大ニュースとして、鷹栖の馬の「装蹄(そうてい)用具及び関連資料」が3月に「登録有形民俗文化財」に登録されることからも、鷹栖町の歴史を学ぶ上で「馬」の存在は非常に大きいと言えます。鷹栖は馬と共に歩んできた歴史があり、馬に支えられて発展してきた文化も多いそうです。今回の馬ソリを通して、鷹栖の歴史における根底の部分を学ぶことができました。

鷹栖町の馬と歴史出典:鷹栖町郷土資料館

鷹栖町元気プロジェクトの2024年2月フィールドワークの様子 鷹栖町元気プロジェクトの2024年2月フィールドワークの様子

2月6日(5日目)

オサラッペモニターツアー2日目。
2日目は、大正時代から昭和初期にかけて実際に鷹栖町で食べられていたものを再現した朝食準備を行った後、私たちも頂くことができました。シンプルな食材でありながらも素材の味の味を十分に感じ、ひと口ひと口を味わいながら当時の鷹栖に思いを馳せました。鷹栖は富山からの入植者が多かったことから、「昆布」が多くの料理で使われるのではないかと言った推測や、北海道の内陸に位置しながらも海産物が非常に豊かなのはなぜか、どのようにしてここまで運んでいたのかなど住民の方々やツアーに参加された方々とお話を交えながら、朝食を頂きました。我々大学生といえば朝ごはんを食べない人も多く、気づけばファストフードばかりに頼ってしまう生活を送りがちですが、今より不便で料理も発達していなかった昔の鷹栖の方々が食べてきた食事の方がよっぽど豊かだったのかもしれないなぁなどと考えていました。
その後場所を移動し、風神窯で陶芸体験をしました。片山さんという職人の方がオサラッペ焼という独自の焼き物文化を発展させており、ツアーでは粘土で形造る「成形」を体験させていただきました。片山さんの作品は独特の模様や色使いが多く、どれも魅力的で素敵な物ばかりでした。プロジェクトメンバーもオサラッペ焼の魅力に一目惚れして一輪挿しやマグカップを購入していました。

鷹栖町元気プロジェクトの2024年2月フィールドワークの様子 鷹栖町元気プロジェクトの2024年2月フィールドワークの様子

今回の報告は以上となります。お読みいただき、ありがとうございました!今後も活動を進めていきます!
次回「その3」の報告もありますので、お楽しみに!